Mirror Worlds David Gelernter

本日もゆっくり起床。外を見ると、なんとゴミが並んでいる。まさか、大晦日も。燃えるゴミと資源ゴミを出し、朝ご飯。今日は、ブルーベリーのヨーグルトを食べた。食事を終えて、外を見ると、ゴミはなかった、、、。大晦日までゴミを回収してくれるとは。もう、燃えるゴミと燃えないゴミの分別が面倒などと、文句は言うまい。外は、木枯らしが吹いていた。父親が言うには、昼頃、駅前に向かった際に、雪が降っていたそうだ。まぁ、これぐらいの寒さで降ってもらわないと、とひと安心。そんな木枯らしの吹く日は、家から出ずに読書。いつもと変わらない気もするけれど。今日は『シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術』(天野雅晴)を読んだ。

そういえば、先日『すべてはFになる』(森博嗣)の中で、ネットワーク/都市/バーチャルリアリティといった話が出てきた。そこで思い出したのが、『Mirror Worlds』(David Gelernter)という本。副題は、「the day software puts the universe in a shoebox... how it will happen and what it will mean」。グリッドコンピューティング技術を思わせる思考実験を1991年に著者は本書の中で行なっている。情報処理にも触れているけれど、分類するなら思想書だとも思った。分類に意味があるかはさておき。この本はめちゃくちゃ面白く、いろんな人に読んでもらいたいな、とは思うのだけれど、残念ながら Amazonでは売り切れてしまっている(USには在庫あり)。もったいない。

今年も、年賀状を書かなかった。書かなくなったのはいつからだろう。プリントゴッコは、なかなか面白くて、やっていたけれど、どうもパソコンで作るようになってからは、本当にただの年末の用事になってしまった(技量の問題だと思うけれど)。高校ぐらいまでは、友人同士で遊びで交換していた。なかなか気のきいた(洒落た)のもあって、今でも持っている。その後、高校を卒業すると、距離的に散らばることで、友人ともなかなか会えなくなる。そうなった時、特に、普段メールをしない人と連絡をとるチャンスという役目を年賀メールは持つようになった。年賀メールは年賀状のように送りっぱなしではなく、何通かやり取りすることで近況を知り合うことができる。年賀メールの方が年賀状よりも、目的にかなっているので、自然と年賀状からは離れ、年賀メールを送るようになり、そして今年も。今年は喪中だけれど、しかし、それは私個人のことで、周囲の人には関係がない。それに、『今年もいい年にしよう」などと言いあうことに、喪中か否かなんてことは何も関係がない。

1月1日。たぶん、普段と変わらない1日になりそう。そうなれば素晴らしいし、最高だと思う。せっかくなので気持よく過ごしたい、そのために必要なことはただ1つ。今日も、普段と変わらない時間に、日付が変わる前に寝ること。明日、朝起きた時に、今日はあれとこれをやりたいな、なんて考えることができたら、もうそれは最高。自分が、2009年をいい年にできた何よりの証拠、2010年をいい年にできそうな、明るい予感。


Mirror Worlds: Or the Day Software Puts the Universe in a Shoebox : How It Will Happen and What It Will Mean

Mirror Worlds: Or the Day Software Puts the Universe in a Shoebox : How It Will Happen and What It Will Mean