家父長制と資本制

『家父長制と資本制』(上野 千鶴子著)


家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 2835円 330p 10.31.90


Contents
PART 1 理論編
【01 マルクス主義フェミニズムの問題構制】
マルクス主義と女性解放/市場とその<外部>/マルクス主義フェミニズムの成立/ブルジョア女性解放思想の陥穽/近代批判としてのフェミニズム
【02 フェミニストのマルクス主義批判】
階級分析の外部/<市場>と<家族>:その弁証法的関係/性支配の唯物論的分析
【03 家事労働論争】
「家事労働」の発見/愛という名の労働/ドメスティック・フェミニズムの逆説/日本の家事労働論争/イギリス家事労働論争
【04 家父長制の物質的基礎】
家父長制の定義/「家族」:性支配の場/家父長制の物質的基礎/女性=階級
【05 再生産様式の理論】
生産至上主義/家内制生産様式/「生産様式」と「再生産様式」の弁証法
【06 再生産の政治】
セクシュアリテの領有/「家父長制」再考/子供の数の決定要因/再生産費用負担の不平等/世代間支配/娘の価値/子供の叛乱/家父長制の廃絶
【07 家父長制と資本制の二元論】
統一理論か二元論か/ネオ・マルクス主義フェミニズム/資本制下の家事労働:統一理論の試み/家父長制の配置/二元論の擁護


PART 2 分析編
【08 家父長制と資本制 第一期】
工業化とドムスの解体/再生産の「自由市場」/「近代家族」の成立/ヴィクトリアン・コンプロマイズ/「家」の発明
【09 家父長制と資本制 第二期】
第一次世界大戦と一期フェミニズム/未婚女子労働市場の成立/恐慌化の家族とケインズ革命/高度成長期と二期フェミニズム/主婦の大衆化と「女性階級」の成立
【10 家父長制と資本制 第三期】
M字型就労/「主婦労働者」の誕生/パートタイム就労の「発明」/日本資本制の選択/資本制と家父長制の第二次妥協/女性の二重役割/生産と再生産の弁証法/80年代の再編
【11 家族の再編】
人口という資源/出生抑制と「再生産の自由」/家族解体 −危機という言説/「中断ー再就職」型のワナ/再生産と分配不公平
【12 家族の再編】
移民労働者/中断−再生産型の陰謀/再生産のQC思想/日本資本制の選択
【13 結び −フェミニスト・オルターナティブを求めて】
国家・企業・家族 −再編の時代/経済学批判/「労働」概念の再検討/「自由な労働」と「労働からの自由」/「労働」の転倒/フェミニストオルタナーティヴ
付録 脱工業化とジェンダーの再構成
参考文献/あとがき/人名索引


解放の思想は、解放の理論を必要とする。 理論を書いた思想は、教条に陥る。 女性解放のために理論はいらない、という人々は、反主知主義の闇の中に閉ざされる。
 

Information
層としての女性
「家族性」は、典型的には都市ブルジョアジーの階層に出現したから、「主婦」になれることは、多くの女性にとって階層上昇を意味した。 男にとっても、家事使用人のいる家庭に家事労働をしない妻を置いておくことは、彼の属する階層のステイタスシンボルとなった。 歴史的な順序から言えば、「家事労働」を行うのが、「主婦」だというより、「主婦」があとになって「家事労働」を行うようになったといういうべきなのである。 「主婦労働」が「家事労働」と同義となるには、「主婦」の座が、特権性を失って、大衆化するという契機が必要である。 フェミニズムの戦略にとって「女性=階級」説は、強力な基盤を提供する。 なぜならば、「女性解放」を目指すフェミニズムは、個々の女性の解放、あるいは一部の女性のほかの女性の抑圧の下における解放ではなく、「女性の層としての解放」を目指すからである。 この「層としての女性」に課せられた「家事労働」という不払い労働こそが、階級形成のための物質的基盤である。 共産党宣言をもじれば、「万国の家事労働者よ、団結せよ」というのが、唯物論フェミニストの戦略になろう。 
資本制は、一体いつまでどのような語りで、性という変数から利益をうるのであろうか、という問いを立てることができる。


市場の外側
産業化は近代に固有な性別役割配当を作り出した。
「家事労働」がなぜ「不払い労働」であるか。 問題の核心は、労働の「収入を伴う仕事」と「収入を伴わない仕事」への分割、そしてそのそれぞれの男/女への性別配当にこそある。 この「不払い労働」から利益を得ているのは、市場と、市場の中の男性だ。 では、市場のどんな条件が、家事労働を市場を放逐せしめるに至ったのか。 「有用で不可欠」な労働でありながら、女性に対してどんな法的・経済的な補償も与えられず、無権利状態におかれていることが「不払い労働」ということになる。 あまつさえ経済価値に換算されようとするこの「活動」を、無償制と献身の名において「神聖さ」へと救い出そうという試みが、「家事労働」論には、いつでもつきまとう。 とりわけ「家事労働」の経済的評価という議論に対しては、いつも女性自身の側から、「愛」の名による反発が出てくる。 「愛」とは、夫の目的を自分の目的として女性が自分のエネルギーを動員するための、「母性」とは子どもの成長を自分の幸福とみなして、女性が自分に慫慂することを通じて女性が自分自身に対してはより控えめな要求しかしないようにするための、イデオロギーの装置だったのだ。
家事労働とは、近代が生み出したものであり、超歴史的な概念ではない。 マルクス主義フェミニズムは、家事労働の歴史性を問うことで、近代社会に固有の女性の抑圧のあり方を明らかにすることに成功した。 市場労働と非子女労働の境界 −すなわち「市場」の限界−は、市場が「何をどこまで市場化するか」によって変動する。 たとえば、かつて主婦が行っていた洗濯をクリーニング屋が始めれば、「洗濯」は市場価値を生む労働となる。 クリーニング屋の所得は、GNPに算入される。 戦後の家電製品の普及、食品・衣料産業の隆盛、家事サーヴィスの商品化等は、家事労働のうちの大きな部分を市場化=商品化した。 「家事労働」の内容は、質・量共に歴史的に変化する。


家父長制
「家」制度を封建遺制とみなす考え方には、3つの取り違えが起きている。 1つ目は、近代百年の「伝統」を普遍の歴史的伝統と錯覚ししている。 2つ目は、武家的な「伝統」を日本社会全体の「伝統」と取り違えている。 3つ目は、近代を「個人主義」の時代と額面どおりに捉えて、「家と近代的自我との葛藤」としている。 高度成長期には、男にとってはいわば、「一億人総サラリーマン化」の完成、女にとっては、「サラリーマンの妻」=「奥さん」に成り上がる夢の完成であった。 しかし、この成り上がりはその実、女性の「家事専従者」への転落を意味していた。 この近代的な性別役割分担をフェミニストは「家父長制」と呼ぶ。 この「家父長制」は、まったく近代的なものであり、封建遺制の家父長制とは質を異にしている。 
家父長制の廃棄は、ここの男性が態度を改めたり、意識を変えたりすることによって到達されるようなものではない。 それは現実の物質的基盤−制度と権力構造−を変更することによってしか達成されない。 だから、単婚関係に入りさえしなければ(独身を通したり離婚することで)この性支配から逃れられるわけではない。 離婚による親権の放棄によっても、男性は少しも家父長制を放棄することにはならない。 子供たちは教育とメディアという第二次社会化の制度の中に入る。 男は、個別的なふし関係を失う代わり、層としての年要の男性集団が、層としての年少の男性集団を支配し誘導するという、社会的な「家父長制支配」を完成する。 女性の再生産労働とその労働の成果である再生産物は、男性=家父長patriarchによって領有されている。 それが、「家父長制」の意味である。 全体社会が男性優位に出来ている限り、また再生産労働を無償で担うのが女性であり続ける限り、このシングル・マザーによる再生産もまた、家父長制的な社会に奉仕する。 夫の方稼ぎによる近代家父長制の維持には、市場には主婦労働者化以外のもう一つの選択肢 −移民労働者の導入がありえた。 移民政策には、「国内で代替のきかない特殊な技能を持った」外国人労働者の導入と、国内では代替がきくが、誰もやりたがらなくなった最底辺の非熟練労働部門への外国人の導入との二つがある。 おそらく2つ目は、既存の労働機会を奪うものではないだろう。
「女の経験を男性言葉で語る」ことではなく、「男のやっていることを女の言葉で相対化する」ことが出来た時に、はじめてマルクス主義フェミニズムの限界は、というより、資本制と家父長制の下に定義された女性の経験は、そこから脱してオルタナーティブを見つけることができるだろう。


About author
上野 千鶴子
77年京都大学大学院社会学博士課程修了
東京大学文学部助教
著書 『資本制と家事労働』 『構造主義の冒険』 など