統計数字を読み解くセンス 青木繁伸

ゆっくり起床するも、少しずつ起床時間が早くなっている。新聞を取りに出て、暖かいことに気づく。このところ、きつく吹いていた風もなく、穏やかな朝。目的の朝刊はポストに入っていなかった。今日は、休刊日。年賀状は、数枚来ていた。今後ますます減ることだろう、急に無くなることはないだろうけれど。

午前中は、のんびり読書。『統計数字を読み解くセンス』(青木繁伸)を読んだ。統計学は面白そうなので、今年の後半あたりに少し挑戦してみよう。今年の他の抱負としては、アルゴリズム。少しずつ理解していきたい。誰かに強制されないでやるのがいい。昔のように、全ての時間を自分の興味に集中させることはできないけれど(もともとそういうやり方は苦手だし)、ちまちまとであれば確実に歩を進めることはできる。1日でも早く始めることと、毎日続けることだけ。それが気持ちいい。昼ご飯は、おせちとお雑煮。おせちは、丁度、明日でなくなりそうだけれど、餅はまだまだある。

夜は、鍋をした。普段は1人での食事が多い。1人だとなかなか食べるチャンスがないのが、鍋。最近は、定食屋のメニューとして提供されることもあるけれど、やっぱり家の鍋がおいしい。1度にたくさんの具材を調理していることもあるだろうけれど、やっぱり落ち着いて食べられることが大きい。最後にうどんを入れて、締めた。今日は1月2日だから、明日、もう1日休むことができる。本当は、親戚の家に行く予定だったのだけれど、親戚一家がインフルエンザになったらしく、予定変更となった。だから明日も、家。新年になってからの3日間は、たぶんコピーアンドペーストをしたような風になりそう。たぶん、本人が望んでいたことだろうけれど。


統計数字を読み解くセンス―当確はなぜすぐにわかるのか?(DOJIN選書27)

統計数字を読み解くセンス―当確はなぜすぐにわかるのか?(DOJIN選書27)

働かざるもの、飢えるべからず。 小飼弾

ゆっくり起床。今日は、あの予定があったな、などと考えながら布団をたたむ。良き日なり。朝ご飯はいつも通り。家族のタイミングが揃わなかったので、正月らしいことは昼ご飯へと繰り延べ。新自由主義的(?)。メールに返事を書き、何人かにはこちらからご挨拶を送信。午前中は特に何もせず、のびのびと石油ヒータの前で『働かざるもの、飢えるべからず。』(小飼弾)を読書。ベーシック・インカムに興味があるので、他にも何冊か読んでみよう。昼ご飯はお雑煮とおせち。母親がおせちを作ってくれた。なかなか豪華で、感謝。お雑煮は、祖母が作っていたように、餅を焼いてもらった。母親の実家では、焼かずに煮るのだけれど、私の好みは焼き餅。鰹節をたっぷりかけて、頂いた。

夜は、Kと会うために外出。18時前だというのに、22時ぐらいの街の雰囲気。海外ニュースで見るような、正月の映像とはだいぶ印象が違う。まぁ、場所によるのかもしれない、年越しライブとかやってるだろうし。人通りはまばらで、暗く、覆いを被されているようだった。Kと食事をして、歓談。行き帰りと、破魔矢を持った人とすれ違う。それ以外の人の多くも、見た目には分からないけれど、初詣が目的なのだろう。そういえば、去年は、大晦日の深夜からお参りに行った。どこに、そんなエネルギーがあったのか、謎。今年は例年通り、3日以降に行こう。できれば、寒くもなく、長距離歩いても暑くならない初春がいいのだけど、そこを踏ん張って、木枯らしの中ゆくのが文化なりかな。新年あけましておめでとうございます。


働かざるもの、飢えるべからず。

働かざるもの、飢えるべからず。

Mirror Worlds David Gelernter

本日もゆっくり起床。外を見ると、なんとゴミが並んでいる。まさか、大晦日も。燃えるゴミと資源ゴミを出し、朝ご飯。今日は、ブルーベリーのヨーグルトを食べた。食事を終えて、外を見ると、ゴミはなかった、、、。大晦日までゴミを回収してくれるとは。もう、燃えるゴミと燃えないゴミの分別が面倒などと、文句は言うまい。外は、木枯らしが吹いていた。父親が言うには、昼頃、駅前に向かった際に、雪が降っていたそうだ。まぁ、これぐらいの寒さで降ってもらわないと、とひと安心。そんな木枯らしの吹く日は、家から出ずに読書。いつもと変わらない気もするけれど。今日は『シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術』(天野雅晴)を読んだ。

そういえば、先日『すべてはFになる』(森博嗣)の中で、ネットワーク/都市/バーチャルリアリティといった話が出てきた。そこで思い出したのが、『Mirror Worlds』(David Gelernter)という本。副題は、「the day software puts the universe in a shoebox... how it will happen and what it will mean」。グリッドコンピューティング技術を思わせる思考実験を1991年に著者は本書の中で行なっている。情報処理にも触れているけれど、分類するなら思想書だとも思った。分類に意味があるかはさておき。この本はめちゃくちゃ面白く、いろんな人に読んでもらいたいな、とは思うのだけれど、残念ながら Amazonでは売り切れてしまっている(USには在庫あり)。もったいない。

今年も、年賀状を書かなかった。書かなくなったのはいつからだろう。プリントゴッコは、なかなか面白くて、やっていたけれど、どうもパソコンで作るようになってからは、本当にただの年末の用事になってしまった(技量の問題だと思うけれど)。高校ぐらいまでは、友人同士で遊びで交換していた。なかなか気のきいた(洒落た)のもあって、今でも持っている。その後、高校を卒業すると、距離的に散らばることで、友人ともなかなか会えなくなる。そうなった時、特に、普段メールをしない人と連絡をとるチャンスという役目を年賀メールは持つようになった。年賀メールは年賀状のように送りっぱなしではなく、何通かやり取りすることで近況を知り合うことができる。年賀メールの方が年賀状よりも、目的にかなっているので、自然と年賀状からは離れ、年賀メールを送るようになり、そして今年も。今年は喪中だけれど、しかし、それは私個人のことで、周囲の人には関係がない。それに、『今年もいい年にしよう」などと言いあうことに、喪中か否かなんてことは何も関係がない。

1月1日。たぶん、普段と変わらない1日になりそう。そうなれば素晴らしいし、最高だと思う。せっかくなので気持よく過ごしたい、そのために必要なことはただ1つ。今日も、普段と変わらない時間に、日付が変わる前に寝ること。明日、朝起きた時に、今日はあれとこれをやりたいな、なんて考えることができたら、もうそれは最高。自分が、2009年をいい年にできた何よりの証拠、2010年をいい年にできそうな、明るい予感。


Mirror Worlds: Or the Day Software Puts the Universe in a Shoebox : How It Will Happen and What It Will Mean

Mirror Worlds: Or the Day Software Puts the Universe in a Shoebox : How It Will Happen and What It Will Mean

すべてがFになる 森博嗣

本日もゆっくり起床。もう、遅起きには満足してきた。あと2日もすると上手く飽きれそう。水曜日ということで、不燃物の日。28日の燃えるゴミの回収はあったけれど、さすがに30日ともなるとゴミ回収も休みになるのでは、と思いながら外を見る。しかし、そこには早起きのご近所さんが出したゴミが既に。多数派に紛れ込む気分で、そっとゴミを出しにいく。いつも通りの朝食の後、また外を見ると、既にきちんと回収されていた。すばらしいサービス。もしかして明日の大晦日もゴミ回収をしてくれるのだろうか。わくわく。

30日ともなると、さすがに用事がなくなった。やることがないわけではなく、自分でやりたいと思ったものだけが残っている。用事はないけれど、予定はある、という感じ。自分の部屋ではいくら空調を効かせても一向にあったまる気配がないので電源を落として、台所に移動。台所では、石油ストーブが稼働。今使っている石油ストーブは比較的新しいもの。音は静かで、臭いが気にならず、なにより暖かい。まぁ、給油が面倒なのは確か。でも、それを補うだけの成果を出してくれる。今日は注文しておいた灯油が届いた。明細書によると、灯油が入っていたポリタンクには500円の保証金(?)がかかっていた。ポリタンクを返せば、その分の代金が返ってくる仕組み。こういう仕組みをなんて言うんだったっけか。

暖かい部屋で、『すべてがFになる』(森博嗣)を読む。森博嗣氏の作品は、(おそらく)一番作品数が多い講談社のものが、ほとんど手つかず。多分、再来年ぐらいまでは自分の中での新作として楽しめそう。楽しみ。最近Gシリーズの『εに誓って』が文庫版で発売された。ノベルスで読んだけれど、Gシリーズの文庫版は特に装丁がかっこいいので、ぜひとも文庫版も持っていたい。内容的には同じ本を2冊買うわけだから、無駄と言えば無駄。だけど、なんとかその無駄を許容できるだけの余裕が持てるように、来年も頑張ろう。たぶん、こういった無駄は人によって違うだろうし、私の選択も来年の暮れには変化しているかも。

夜は雨の中、KとMとの食事へ向かう。一応、忘年会的な位置づけだろうか。例によって誰も飲まない。いや、Mは普段、飲むのだけれど、節制しているもよう。フォカッチャは、どうやって作っているのか、みたいな話をする。もとより、話の始めに誰も製法を知らないと判明しているので、その後の会話はもう、ただの会話のための会話で、結論が出ることなく、気付かぬ内に話は転換。その後も特に専門的な話は無しで、あれこれと雑談をした。店を出ると雨は止んで、空にはきれいに雲がかかっていた。3人とも、今年はいい年だったという点でだけは、同一の結論に達する。が、あと1日あるので、油断はできない(笑)。


すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

リング 鈴木光司

8時起床。最近これがペースになってきた。年が明けたら、この起床時間ではまずい。別に、普段より長い時間寝ているわけではなく、寝る時間が遅くなっていることで、朝起きるのが遅くなっている。修正しないと。朝食の後は、年越しの掃除。普段はやらないようなマニアックな所も掃除。しかし、完璧にはならない。集合住宅に住んでいた頃は、時間をかければかけるだけ、労力をかければかけるだけ、部屋はきれいになった。でも、今いるような古い民家では、そうはいかない。どうしようもないような汚れ、掃除ができないような場所といった箇所がある。そういう所は、もう放っておく。あきらめる。朝起きた時に、鼻がムズムズしてくしゃみが出る、といったことがない水準に維持できればそれでOK。

家の中が終わったら、今度は外。といっても、あまりやることはない。植木屋さんが気をきかせて、だいぶ丁寧にしてくれたからだ。少し土をならす程度で済んだ。後は、懸案の穴堀。考えてみれば、アウトドアの用事だから天気に左右される。にも関わらず、全く考えてなかった。まぁ、他の日にできないからこの日になっただけで、雨が降ったらやらないだけ。しかし、実際は運良く晴れて、加えて、前日に雨が降ったことで土が柔らかくなっていた。おかげで作業がはかどった。ラッキー。冬なので、外は寒いけれど、ユニクロの「フリース+ヒートテック」を装備していると、作業している内にポカポカして、汗をかきそうにすらなる。今年の庭仕事は、これにて修了。

夜。いつもの時間帯に、いつもの人が宅急便を届けれくれた。年の暮れなので、少し遅れるかも、と予想していたけれど見事に届けてくれた。配達人氏によると、年末年始には確かに混雑するけれど、もうピークは過ぎたとのこと。届いたのは、ネットで買った本。ある所で、鈴木光司氏のホラー小説が紹介されていたのを見て、『リング』シリーズも注文した。ホラーは、ほとんど読まない(、見ない、聞かない)ので、どういう風の吹き回しか? たしか、小学生か中学生の頃に、『パラサイト・イヴ』や『アナザ・ヘブン』をテレビで見た記憶が。中でも、『リング』は衝撃的だった。どういう衝撃かといえば、もうやっぱりあのシーンで、次の日の学校はもう、あの真似で持ち切り。昔『らせん』を買ったことがあるけれど、今回買った本は装丁が違った。うーん、時の流れ。『リング』シリーズを買ったことで、Amazonのプログラムには、ホラー小説が好きな人、と認知されてしまった。おかげで、おすすめの商品にはずらずらと、いかにもという本が並んでしまっている。魔が差しただけですので、ご勘弁を。


リング (角川ホラー文庫)

リング (角川ホラー文庫)

お金が”いやでも貯まる”5つの「生活」習慣 (T.スタンリー)

8時起床。少し曇天。慌てないで済むように、先にゴミ出しをしてから朝ご飯。といっても、コーヒーとヨーグルト。冬は食事量が落ちて、食費が浮くので助かる。新聞を読む。日経新聞は、昔購読していた朝日新聞に比べて、紙面下部に掲載される書籍の広告量が少なく、企業広告が多いような気がする。少し残念。折り込みチラシ広告が無いのはゴミが減って助かる。朝ご飯が終わる頃には、空が晴れて明るくなった。照明のおかげで天気や日没時間を気にせずに本を読んだりできるのは、とても幸せ。それでも、やっぱり天気がいいと、嬉しい。

クリスマス頃、墓参りに行った。墓石の掃除をした後、住職夫婦と会話。お2人とも80歳を超えてらっしゃるけれど、健康で、なにより記憶が減っていない。私のことを覚えて頂いてるにとどまらず、私の両親や親戚、さらに祖父母のことも覚えていらっしゃる。おそらく次回お会いするときには、今回話した内容のその後の経過に話が及ぶことになるのだろう。とても頼りになる方々だ。帰宅すると、玄関前に大根とネギが。近所の方からの頂き物。ネギは早速みそ汁の具材に。大根は甘辛く。大根の葉は、ぜひともちりめんじゃこと炒めたいところ。

読書は『お金が”いやでも貯まる”5つの「生活」習慣』(T.スタンリー)。原題は『STOP ACTING RICH: And Start Living Like A Real Millionaire』。もう少し言葉を付け足すと、実際の億万長者達の実態から乖離した億万長者像を追いかけるのはやめて、事実にかなった生活習慣を身につけよう、となる。一般に、「お金持ち」と言われれた時にイメージする彼ら彼女らの生活は、実像とは程遠いという事実が本書に書かれている。例えば、別荘を持っていたり高級車を乗り回したり、高級腕時計を複数所有したり。こうした生活を送っているのは、アメリカで2%ぐらいのスーパーリッチやスターぐらいであり、あとは上昇志向の強い人達が見栄でやっていることのようだ。「家や車といった人目につきやすい富の象徴は、投資ポートフォリオの規模よりも、クレジットの残高を示すものなのだ。」(p.180)という指摘があった。実際の「普通のお金持ち」は、見栄を張るために(おそらくお互いに)資産を削る (削り合う)ことはせずに、収入より少ない消費による堅実な生活を送り、経済的な自立や万が一への蓄えがあることからの安心感に幸福を感じている。このあたりに、富裕層ビジネスの難しさがあるのだろう。『THE ILLUSION OF ENTREPRENEURSHIP』(S.Shane)に近い読後感。データを分析し、大きく喧伝されている物語と事実との差異を確認していく作業が痛快。「金持ちのどら息子」なんていうのも、案外少数なのかも。


超★ライフハック聖典ー迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル (ココロ社)

8時起床。最近、朝はゆっくり。庭仕事を少々。夏に比べると、やることが少ないので楽ちん。植木屋さんに剪定をお願いしなかった木を何本か整える。切り落とした葉っぱは、そのまま放置。火曜日に、庭に穴を掘り、そこに埋める予定。なぜ明日の燃えるゴミの日に、切った葉を捨てないかというと、この地域は、葉っぱを回収してもらえないのだ。毎週のゴミ回収とは別に、利用者が市役所に連絡して、予約し、取りにきてもらわなければならない。冬はそれほど多くの緑ゴミ(?)が出ないのでいいけれど、夏は大変だった。というよりも、回収してもらうのをあきらめて、庭に埋めるという仕事に切り替えた。まぁ、土も肥えるし、いいかと。そのおかげなのか不明だけれど、今、庭ではヴィオラがきれい。もう少ししたら、花を摘む。そうしてやることで、さらにたくさんの花が咲くのだと、近所の人に教えてもらった。不思議。

ゴミの回収といえば、以前京都に住んでいたときは、すごく楽ちんだった。一番仕分け回数が多いと思われる、燃えるゴミと燃えないゴミの分別が必要なかったから。だから、ゴミが出たら、(基本的に)考えずにゴミ箱へ、で済んだ。ただ、ペットボトルの回収回数が月1回だったので、夏場に溜まって困った。これは、今住んでいる場所も変わらない。京都時代に住んでいた場所は、京都市外だったのだけれど、友人から、市内はゴミ分別が厳しいと教えてもらった。地域によって分別方法が違う理由は、ゴミ処理施設の機能差かもしれないけれど、まぁ、色々あるのでしょう。あまり突っ込んではいけない気が(笑)。

読書は、『超★ライフハック聖典ー迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル』(ココロ社)。カバー絵は古屋兎丸氏の手によるもの。この方のマンガを、まだ読んだことがない。楽しみ。

今はやっていませんが、以前こんな感じでMixiを書いていました。不評でしたが(笑)。その時知ったのが、皆(あくまで内輪ですが)Mixiに携帯でアクセスしているということでした。あの分量を皆携帯で打っているのか、と驚きました。去年の夏のお好み焼き屋での一幕です。


超★ライフハック聖典  〜 迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル

超★ライフハック聖典 〜 迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル